『ルーズ』        作・福島 康夫 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 【登場人物】 夏 海(高校2年生) 恭 子(高校2年生) リ カ(高校2年生) ユ リ(高校2年生) マ ミ(高校2年生) 岸先生(夏海の担任) 母 親(夏海の母親) 謎の男 謎の女 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 高校2年生の始業式の前日、自分の部屋の鏡の前で考え込んでいる。 夏 海 明日から2年生…(ため息)もうすぐ17才になるなんて、信じられないなぁ。     それなりに受験生して、何とか受かって、かわいい制服が気に入って入学してき     たけど、新鮮な気分も初めのうちだけ…。あ〜あ、何やってんだろう。 謎の男 いいじゃないか。(軽い感じで) 夏 海 誰、あなた!(びっくりして) 謎の男 たいした目的もなく、自分の成績と相談して決めただけなんだから、そんなに     期待するなよ。 夏 海 誰なのよっ!人のうちに勝手に入り込んで、警察を呼ぶわよっ! 謎の男 どーぞ、どーぞ。もっとも他の人にはボクのことが見えないんだけどね。 夏 海 見えない、ってどういう意味よ。ま、まさか幽霊ってわけじゃないわよね? 謎の男 アハハハ、まさか!テレビの見すぎだよ。(両手を広げて)このボクが幽霊に     見えるかい? 夏 海 そうは見えないけど…。じゃあ、なんなのよ? 謎の男 まあ、簡単に言っちゃうと、もう一人のキミってところかな。 夏 海 もう一人のワタシ? 謎の男 そっ、もう一人の キ・ミ 。 夏 海 なんでもう一人のワタシが男なのよ! 謎の男 さぁ?もしかしたらもう一人のキミは、男になりたかったのかもね。 夏 海 なによ、それっ!私は別に── 。 謎の男 (さえぎりながら)そんなことよりさぁ、明日から高校2年生だろ?いいのかな、     今のまま、2年生になって。そして来年は3年生になって、入ったときとナーン     にも変わらないまま卒業していく。 夏 海 どういう意味よ、それ! 謎の男 どういうって、そういう意味だよ。与えられた生活、目の前に敷かれたレールの     上をおんなじペースで走り続ける…まぁ、それでいいのかもしれないけど。 夏 海 ちょ、ちょっと待ってよ!(謎の男が消えて取り残された気分で)なによ、  アイツは。なんで私がレールの上を走らなくちゃいけないのよ。私はちゃんと…     私は……私は何やっているんだろう………。     (幕が開く)     始業式の朝、リカ・ユリ・マミがミニ・スカートにルーズとハデな雰囲気で、     大きな声で携帯をかけながらたむろしている。そこへ上手から夏海が通りかかる。     一瞬 静まり返る…恭子もやって来る。 恭 子 どうしたの、そんな格好で!(リカたちに言っているようで、実は夏海に)     下手から岸先生登場。生徒に気づいて怒った感じで近づく 岸先生 なんですか、その服装は!始業式から、いきなり校則違反よっ!(3人の横を通     り抜けて、夏海の前に立つ。夏海は片足はスクール、片足はルーズソックスを     はいている。) 後で親を呼びますから、一緒に生徒指導室まで来なさい! ユ リ まじめな夏海が呼び出しくらってるよ。やだやだ、不良は! 夏 海 えっ、どうして私が? リ カ やだ、「どうしてワタシがァ」だって。 マ ミ 自分の格好を見てから言えよ。 夏 海 (自分の靴下を見て驚く)うそっ…。朝、何となくボーッとしていて…。 ユ リ うそ、だってさ、とぼけちゃって。行こっ!一緒にいると、アタシたちまで不良     にされちゃうよ!(三人で立ち去る) 恭 子 ねえ、どうしちゃったのよ。そんな靴下はいて。 夏 海 う、うん…朝何となく考え事をしていたらいつのまにか。 恭 子 始業式の日なんて、服装チェックが厳しいに決まっているのに、よりによってま     あ…。しかも優等生の夏海が…。 夏 海 わざとはいてきたわけじゃ…でも私、優等生なんかじゃないよ。 恭 子 今まで一度も校則破ったことないでしょう? 夏 海 それはそうだけど、別に優等生でいようと思ってそうしてきたわけじゃないよ。 恭 子 じゃあ、今日は先生たちに反発したくて、そんな靴下はいてきたの? 夏 海 そうじゃないんだけど…自分でもよくわからないの。ただ、こんな風になんにも     ないまま、また1年が過ぎて3年生になって、そうしてなんとなく卒業していく     のかなぁ、って思ったら、決められたレールの上を走っていくみたいで、本当に     これでいいのかなあ、って考えていたら…。あれっ?この話どこかで聞いたよう     な気がする…。 恭 子 ねえ、何一人でぶつぶつ言ってるの?なんか変だよ。あっ、大変だ、始業式に遅     れちゃうよ。ほら、わけの分からないこと言ってないで、体育館に行くよ。 夏 海 (すっきりしないまま、引っ張られていく。)     放課後の生徒指導室     岸先生に案内されて母親と夏海が入ってくる 母 親 この度は、本当に申し訳ありませんでした。 岸先生 2002年に学習指導要領が大幅に改訂されて以来、本校では「生徒の自由」を     一番に考え、都立高校の中でも真っ先に校則を改正したのです。(得意そうに)     「シャツは外に出し、決して中に入れてはならない」     「スカートは、ひざ上10センチより短くすること」     「靴下は…あっ、お宅のお子さんは今回この項目に違反したんですよ。…靴下は      ルーズソックスとし、高校生らしくなるべく長いものを着用すること。      三つ折りやスクールソックスは絶対に着用しない」     「携帯電話は常に身に付け、バッテリー切れに注意すること。番号は学校に届け      出ておき、変わったときは速やかに『携帯電話番号変更届け』を提出すること      」とまあ、このように都内でも有数の「生徒の自由が尊重されている学校」として 、    マスコミなどにも取り上げられたんですよ。 母 親 はい、うちの娘も「自由」さが気に入って、この高校に決めたようなものですか     ら。この学校は、本当に自由ですよねぇ。私が高校生の時とは大違いです。 岸先生 ちょうど2000年頃から高校生、特に17才によるショッキングな事件が相次     いで起こり、全国的に『中・高校生の自由を大切にしよう』という動きが盛んに     なり始めたのです。その先頭をきって本校が今の校則に改正したものですから、     評判になってしまって。その本校で、スクールソックスを認めるわけにはいきま     せんからねぇ。 母 親 本当にどうしてこんなバカなことをしたのか、私にもサッパリ見当がつかなくて     困っているんですよ。わざわざ不自由な靴下をはくなんて…。 岸先生 まあ、二度とこういうことのないように、ご家庭でもしっかりとご指導をお願い     します。 母 親 はい、わかりました。以後気をつけますので。どうもすみませんでした。     (終始無言の夏海、母親と二人で部屋を出る。下手にはける) 岸先生 全く、こんなに自由な学校に何の不満があるのやら…。 (岸先生が上手にはけると同時に下手から夏海が現れる。夏海の部屋) 夏 海 何で私、スクールソックスなんてはいて行っちゃったんだろう…。わざわざ「不     自由な靴下」を。     (謎の男、突然登場) 謎の男 「不自由な靴下」って何だよ? 夏 海 またあなたね。 謎の男 アナタでありワタシでもあるけどね。 夏 海 またわけの分からないことをいって!もうっ、あなたのせいで今日は大変だった     んだからねっ! 謎の男 もうっ、ワタシのおかげで今日は画期的な一日になったんだからねっ! 夏 海 真似しないでよ! 謎の男 自分で自分を真似してどうするんだよ。ボクの言葉はキミの言葉、キミの言葉は     ボクの言葉なの。 夏 海 もうーっ、頭が疲れているのに混乱するようなこと言わないでよーっ! 謎の男 だから、「不自由な靴下」って何だよ。 夏 海 スクールソックスのことよ。 謎の男 どうしてスクールソックスが「不自由な靴下」なんだよ。 夏 海 それはね、それは…。どうしてだろう? 謎の男 ほらな、誰も理由なんか考えていないんだよ。じゃあ、逆に聞くよ。「自由な靴     下」ってなんだよ。 夏 海 それは、ルーズソックスに決まっているわ。 謎の男 どこが? 夏 海 どこが、って…どこが…だろう?─── そうよ、前は校則で禁止されていて、     それを破るから自由なのよ。 謎の男 でも、校則で禁止されていないところも多かっただろう? 夏 海 校則では禁止されていなくても、イメージがなんとなく悪かったから、逆にその     ルーズソックスをはくことに「自由」を感じたのよ。コギャルなんて悪く言われ     てても、本人たちは結構楽しんでいたみたい。 謎の男 でもその悪いイメージは、校則が変わってからスクールソックスに変わっていっ     たんだろう? 夏 海 そう言われてみればそうね。今日の私みたいに、呼び出し食らって親呼ばれて、     不良扱いされちゃうんだから。 謎の男 じゃあ、今はスクールソックスが「自由な靴下」ってわけだ。 夏 海 えーっ、まさかぁ…。えっ、でも…そうなのかなぁ…。 謎の男 自由っていうのも、なんだかめんどくさいねぇ。さてと、今日はこの辺で失礼す     るよ。それじゃ! 夏 海 ちょっ、ちょっと待ってよ!(謎の男を追って、部屋から退場) (謎の男が歩いてくる。後ろからこっそり謎の女が近づいてくる。) 謎の女 ねぇねぇ。 謎の男 うわあ!!何でお前がこんなところにいるんだよ!! 謎の女 あら、あたしがいたらいけない? 謎の男 だ、だって、ここは「生きている」人間の世界なんだぞ! 謎の女 そんなこと、言われなくたって知っていまーす。 謎の男 じゃあ、どうしてここにいるんだよ。 謎の女 あなたこそ、こんなところで何しているの? 謎の男 ボ、ボク?ボクは、べ、別に何もしてないさ。 謎の女 フーン、じゃあ、あたしも別に何もしていない。 謎の男 なんだよ、それ! 謎の女 さてと、今日はこの辺で失礼するわね。それじゃ!(立ち去る) 謎の男 ちょっ、ちょっと待てよ!(走りかけて立ち止まり)あれっ?さっきどっかで     こんなシーン見ませんでした?おっかしいなぁ……。(立ち去る)     リカ・ユリ・マミが登場。     (夏海と恭子がやってくる) ユ リ 校則守らなくていいのかよ! マ ミ また親呼び出されんじゃないの? リ カ わかっていながらスクールソックスはいてきたとしたら、たいした度胸ね。 夏 海 違うわ。別に先生に逆らおうとしてはいてきたわけじゃない!私はただ…。 リ カ ただ?ただ何だっていうのよ。校則違反に何か理由でもあるって言うの? 夏 海 そうじゃないけど、いろいろと考えていたら、自分でもわけが分からなくなっ     ちゃって。だから、誰かに答えを出してもらいたくて…。 リ カ おやおや、優等生の不良は言い訳まで違うわねぇ。 ユ リ 先生に答えを出してもらったら? マ ミ どうせなら、一番厳しい「岸先生」にね!きっと素敵な答えを出してくれるから     ……ねぇ?(リカ・ユリ・マミ、顔を見合わせて笑う) 恭 子 ちょっとあんたたち、なんてことを言うのよ!いい加減にしなさいよ! 夏 海 やめて!私、本当にそうしようと思っているんだから。 謎の男 誰に聞いたって同じだよ。 夏 海 (驚いて)ちょっと、みんながいる前で出てこないでよ!変に思われるでしょ?     (夏海の言葉に、まわりは不思議そうな顔をする) 謎の男 大丈夫、大丈夫!他人からはなんにも見えないんだから。キミが誰かと話してい     ることが、変に見えるかもしれないけどね。まあ、うまくごまかしながら話をし     てくれよな。(ニヤニヤしながらみんなのまわりを歩きまわる) 夏 海 わ、わかったわよ。 恭 子 ねぇ、夏海、どうかした?誰と話しているの? 夏 海 えっ?だ、誰とも話してなんか、い、いないわよ。 ユ リ 頭おかしくなったんじゃないの? 夏 海 ち、違うわよ。ちょっとひとりごと。平気だから、そ、そっとしておいて。 恭 子 本当に平気?何だか様子が変よ。 夏 海 う、ううん、大丈夫。ありがとう。 恭 子 ならいいんだけど…。(夏海を気にしながら立ち去る) (まわりで雑談が始まる。夏海はこっそりと謎の男と話し始める。) 夏 海 何でまた出てきたのよ。 謎の男 キミがボクを呼んだからさ。 夏 海 えっ、私が?呼んでなんかいないわよ! 謎の男 えーっ、そうかなぁ…さっきみんなの前で「岸先生」に聞いてみるって言った時     に、ボクの意見を聞きたがっていたように思ったんだけど…ボクの思い違いかぁ。     じゃ、ボクに用はないって訳だ。(わざとらしく消えようとする。) 夏 海 ちょっと待ちなさいよ。せ、せっかく出てきたんだから、あなたの意見とやらを     聞かせてよ。 謎の男 おやおや、やっぱりボクの意見が聞きたいんだ。素直じゃないねぇ。そうならそ     うと、最初から言えばいいのに。 夏 海 べ、別に私は…。ただね、男のワタシだったらどうするかなぁ、と思って。 謎の男 はいはい、わかりました。─  女のボクがどうしたいのかよくわからないけど、     男のワタシだったら、人に聞いてみたりしないね!自分でよく考えて、自分で決     めた通りに行動するのみだな。 夏 海 だって、「岸先生」の考えを聞いておかないと、また怒られちゃうかもしれない     し…。それに、自分の考えに自信ないし…。 謎の男 じゃあ、誰の考えなら自信あるっていうんだよ。親?それとも先生?親友に決め     てもらおうか?それとも知り合いみんなに聞いて、多数決っていうのはどう? 夏 海 ふざけないでよ! 謎の男 ふざけてるのはどっちだよ!相談ていうのはね、最後は自分で決められる人間が     することなんだ!自分でしっかりと考えて、自分で決められないようなヤツは、     他人の言いなりになってればいいんだよ!── 念のため言っておくけどね、い     くらボクが男のキミだからって、あとで何かあってもボクのせいにしないでくれ     よな。最後の決断ができないようなら、ボクの話は聞かなかったことにしてくれ     よ。じゃあな!(立ち去る) 夏 海 なによ、言いたいだけ言ってどっか行っちゃうなんて、最低!誰がアンタの言う     ことなんて聞くもんですか!── (しばらくリカ・ユリ・マミの雑談を聞きな     がら考え込んでいる)     最後は自分の決断か…。(つぶやいて、立ち去る) マ ミ 今まで姉きのお古のスカートだったんだけど、やっと新しいの買ってもらったよ。 ユ リ ちょっと、それヤバくない?(手帳を取り出す)     「スカート丈はひざ上10センチよりも短くすること。」     5センチくらいしかないよ! マ ミ そうなのよ。昨日閉店ギリギリに買ったから、もう短くしてもらえなかったんで、     今度の土・日で短くしてもらうの。 ユ リ 見つかったら、呼び出されるよ! リ カ 「異装届け」を出せばいいのよ。 マ ミ ウェストで折るだけじゃダメかなぁ。 リ カ 長いスカートが問題なんだから、見つかったらアウトね。それよりユリ、ひとの     ことばっかり言ってるけど、あんたのルーズもちょっとヤバくない? ユ リ えーっ、あたし?だってこれ買ったばっかりだよ! リ カ 「靴下はルーズ・ソックスとし、高校生らしくなるべく長いものを着用すること 。 ─── ここからは先週追加された項目よ。──  伸ばしたときに60センチ      以上あるものを着用し、地面ギリギリまで下げてはくこと。」だって…。 ユ リ だってあたし足が小さいから、60センチのをはくとダブダブなんだもん。     (突然、携帯電話の呼び出し音。全員が反応する。) 全 員 もしもし! リ カ あっ、ケータイのバッテリー切れてる…。 マ ミ それも校則違反でしょ? ユ リ・マ ミ 「携帯電話は常に身に付け、バッテリー切れに注意すること!」 リ カ 全く、本当にウチの高校は都内で一番自由な高校なの?何だかやたらとうるさい     気がするんだけど。 マ ミ うん、あたしもこの頃ちょっと息苦しいんだ。ちょっと前まであんなにあこがれ     ていた「自由」なのに、「やらなくちゃダメ!」って言われるとなんだか急に色     あせてみえるというか、「不自由」に感じるというか…。 ユ リ そんなことないって!まわりの学校の子たちは、ウチのことを「いいなあ」って     うらやましがっているよ。自分たちは慣れてきちゃって、感じないだけだよ。 マ ミ うん、そうかもしれないね。 ユ リ そうそう!さ、行こっ!(リカだけはスッキリしない表情のまま去る)     (夏海、自分の部屋に入ってくる) 夏 海 あ〜あ、どうしちゃったんだろう…。何かこの頃変だなぁ。 謎の男 (突然)今までが変だったんだよ。 夏 海 またアナタね。そうよっ!アナタが現れるようになってから、ワタシが変になっ     ちゃったのよ! 謎の男 (夏海をまねて)そうよっ!アナタがまともになってきたから、ボクが現れる     ようになったのよ! 夏 海 もう、いい加減にしてよ!ワタシにつきまとうのはやめて! 謎の男 (夏海をまねて)もう、いい加減にしてよ!ボクを呼ぶのはやめて! 夏 海 あーっ!!頭が変になりそう!! 謎の男 (真面目な顔で)今まで何も疑問に思わなかったことのほうが、変なんだよ! 夏 海 どういう意味よ。 謎の男 「不自由なソックス」を押しつけられて、それを自由だと思い込んでいたという     ことだよ! 夏 海 ルーズソックスのどこが不自由なのよ!「ルーズ」の意味が分かっているの? 謎の男 どういう意味だっていうんだい? 夏 海 「ルーズ」っていう言葉はね『ゆるい』、とか『だらしない』なんていう意味が     あるのよ。だからルーズソックスは「不自由」どころか、「自由」そのものなん     だから! 謎の男 (あきれたように)ったく、わかっていないんだから!英語の辞書ある? 夏 海 あるにきまってるでしょ!なんで? 謎の男 いいから調べてみろよ。 夏 海 (辞書を手にとって)私の英語の実力を疑っているのかしら、失礼しちゃうわね。     えーと、ルーズ、ルーズ、と。l・o・o・s・e、あったあった。読むわよ。     『ルーズ 解き放たれた、たばねてない、くくってない、ゆるい、だらしない』     ほらね、言った通りでしょう? 謎の男 みんなそうやって勘違いしているんだよなぁ。─── 日本全国みんなだよ。 夏 海 何が「日本全国みんな」なのよ! 謎の男 辞書をもう一度よーく見てみろよ!特に発音記号をね。 夏 海 ちゃんと見てるわよ! l・o・o・s・e、ルース…えっ?ルース?ルーズじゃ     ないの? 謎の男 やっと気がついたか。売ってる側もとっくに気づいていながら、そのままにしちゃ     うところが、恐ろしいよねぇ。 夏 海 これ、どういうこと? 謎の男 どうもこうも、そのままだよ。校則で決められているルーズソックスは、意味的     には本当はルースソックスだったってこと。 夏 海 えっ、じゃあルーズはどういう意味なの? 謎の男 これだから困っちゃうんだよなぁ。中学校でとっくに習っているのに忘れちゃっ     てるよ。ルーズ・ロスト・ロスト、不規則動詞ルーズだよ。     『l・o・s・e ルーズ  失う、なくす、むだにする、負ける、損をする』 夏 海 えっ、そんなぁ…。 謎の男 そっ、つまり女の子たちはみんなして、「失って、なくして、むだにして、負け     て、損をして」いるんだよ!わかった? 夏 海 そんな、ひどい!(部屋から出ていってしまう)     (すれ違いで謎の女が入ってくる) 謎の女 なーにそんなに熱くなってるの? 謎の男 またお前か。別に熱くなんてなっていないよ。変ないいがかりはよしてくれ。 謎の女 あーら、そう?いつもはクールなあなたが、あの子のことになると、何だか一生     懸命に見えるけど。 謎の男 そんなことあるわけないだろ!なんで夏海のことになると、熱くならなくちゃい     けないんだよ! 謎の女 しーらない!あたしのほうが聞いてみたいな。ねぇ、教えて?どうして?ねぇ?     ねぇってばぁ。 謎の男 知らないっていってるだろ!「夏海のこと」なんて興味ないよ!(立ち去る) 謎の女 「夏海のこと」ねぇ。やっぱり何かありそう…。(肩をすくめて立ち去る)     (リカ・ユリ・マミが登校してくる) マ ミ ミニスカート、よーし! ユ リ ルーズソックス、よーし! マ ミ 携帯、よーし! ユ リ バッテリー、よーし! リ カ (イライラと)何バカなことやってんのよっ! マ ミ ねえリカ、何だかこの頃少し変だよ。 ユ リ うん、あたしもそう思う。何かあったの? リ カ 別に、何もないよ。 マ ミ でも、なんとなくイライラしている気がする。 ユ リ 時々考えごとしているみたいだし。 リ カ 夏海を見ているとムカツクだけだよ! ユ リ そうだよね。相変わらず「片足スクール片足ルーズ」だし! マ ミ だいたいなんで先生たちは黙っているわけ?ひいきじゃん! ユ リ そうそう。あたしのルーズとか、マミのスカートとかは「ちょっと校則違反だ     な」とか「次はダメよ」なんて言っておいて、夏海はもう何日も放っておいて、     ズルイじゃん!     (夏海と恭子がやって来る) マ ミ うわさをすれば、現れたよ。 ユ リ おやおや、また今日も校則違反だ。 マ ミ いいねぇ、先生にひいきしてもらえるご身分で。 ユ リ どうやったらひいきしてもらえるのか、教えて欲しいなぁ。 恭 子 またあなたたちね!相変わらず嫌な感じ! マ ミ 校則違反しているのに、見逃してもらっているほうが、よっぽど嫌な感じだよ! 恭 子 別に夏海は見逃してもらっているわけじゃないよ! ユ リ じゃあ、何だっていうの? 恭 子 夏海はね、いろんなことで悩んでいるのよ!だから先生たちも見守ってくれて     いるの! マ ミ (笑いながら)悩んでいるんだって。何を悩んでいるんだろうねぇ。「明日は     どっちの足にスクールソックスをはこうかなぁ」なんて毎日悩んでいるんじゃな     いの? 恭 子 そんなんじゃないわよ!夏海はね、夏海は…。(言葉に詰まる) ユ リ 夏海は、どうしたっていうのよ!何を悩んでいるのよ! 恭 子 それは、それは……。 マ ミ あれっ?なんだ、聞いていないの?一番のお友だちかと思っていたら、案外たい     したことないんだ。深刻な悩みを打ち明けてもらっていないくらいだから。 夏 海 そんなぁ…。別に私は…。 恭 子 あなたたちみたいに、ただダラダラと一緒にいるだけのお友だちとは違うのよ! マ ミ 何ですって!あたしたちがダラダラと一緒にいるだけだっていうの? 恭 子 じゃあ聞くけど、なんでも悩みを打ち明けあっているって言うの? マ ミ 当たり前でしょ!困ったときはすぐに相談に乗ってもらっているわよ!ねぇ? ユ リ そうよ。それが本当の友達っていうものよ! 夏 海 ちょっと待って!私が悪かったの!恭子は悪くなんかないし、私にとって恭子は     大切な友達なの!ただ…。 マ ミ ただ、何なのよ? 恭 子 いいよ、夏海。私はわかっているから、無理に言わなくてもいい。でもね、言い     たくなったら、いつでもいいから相談してね。 夏 海 恭子……。 リ カ フーン、美しい友情だねぇ。─── 甘いこと言ってんじゃないわよ!何が友情     よ!何が本当の友達よ!そんなもん、あるわけないでしょ!バカじゃないの! マ ミ ちょっと待ってよ、あたしたちの友情はどうなのよ。 ユ リ そうよ、いつでも悩みを打ち明けあってきたんじゃないの? リ カ まさか!他人に言ってもいいようなことだけを、相談しているに決まっているで     しょ。本当に深刻な悩みなら、あんたたちになんて打ち明けられないよ! マ ミ そんな、ひどい! ユ リ そうよ!リカがそんなふうに思っていたなんて!信じられない! 夏 海 もうやめて!! リ カ もうやめて!って、もとはといえば、夏海が全ての原因じゃないの! 恭 子 全ての原因って、夏海が何をしたって言うの? リ カ 1年生まで目立たない普通の女の子だった夏海が、突然、校則違反のスクール     ソックスをはいてきたことから、全てが狂い始めたのよ!なんとなく息苦しさを     感じながらも、「こんなものかなぁ」とか「自由で有名な学校なんだから」なん     て納得してきたのに、夏海が頑固にスクールソックスをはき続けるから、あたし     たちまで「自由」とか「不自由」とか考えるようになっちゃったのよ! 恭 子 そんなのあなたの勝手な思い込みでしょう?夏海のせいにするなんてズルいわ。 リ カ じゃあ、誰のせいだっていうのよ! 恭 子 誰のせいでもないわ。何も考えようとしなかった私たちの中で、最初に夏海が     考え始めたのよ。うらむどころか感謝してもいいくらいよ。 夏 海 違うの! 恭 子 何が違うの? 夏 海 私、そんな立派な理由でスクールソックスをはき始めたわけじゃないの。 ユ リ じゃぁ、どうしてなのよ! マ ミ 説明しなさいよ! 夏 海 信じてもらえないかもしれないけど、聞いて。─── 私もね、1年生までは、     というより2年生になるまで、何の疑問も持たずに過ごしてきたの。ところがね、     明日から2年生になる、というまさにその日に、突然「もう一人のワタシ」が現     れたの。「いいのかな、今のまま、2年生になって。そして来年は3年生になっ     て、入ったときとナーンにも変わらないまま卒業していく」って言われて、頭を     ガーンとなぐられた感じだった。 恭 子 もう一人の夏海? 夏 海 それからなの、何だかおかしくなってきたのは…。何をやるにも、いつの間にか     「それでいいの?」「ほんとうにそうしたかったの?」って自分に問いかけるよ     うになってしまったの。 ユ リ どういうこと? 夏 海 (迷いながら)えーっと、つまりね…私の横にもう一人のワタシがいて、耳元で     ささやいているというか…。     (謎の男が、例によって突然現れる) 謎の男 それってボクのことかい! 夏 海 ほーら来た。     (まわりのみんなは、わけも分からず戸惑う) 謎の男 ついにボクのことを、みんなに言うときが来たのかな? 夏 海 わからない。でも、今まで私がとってきた行動について、みんなに話をするとき     が来たような気がするの。いろいろと迷惑もかけたし…。 謎の男 それでいいんじゃない?ただ…誰にでもボクのような存在がいるわけじゃないん     だけどね。ま、それはいいや。まわりで聞いていてあげるよ。 恭 子 ちょっと夏海、誰と話しているの? マ ミ 頭おかしいんじゃない? ユ リ 一人でブツブツしゃべって、ちょっとアブナいよ。 リ カ まさかもう一人のアタシとやらとしゃべっているんじゃないだろうね。     (謎の男、リカの耳元で) 謎の男 ピンポーン!ズバリ、その通りでーす! 夏 海 ふざけないでよ! リ カ ふざけてなんかいないわよ! 夏 海 あっ、違うの。リカに言ったんじゃないの。リカの隣にいた、もう一人のワタシ     に言ったの。 リ カ ええっっ!アタシの隣にいたの? 夏 海 えっ、あっ、いや本当にいたらそんな感じかなぁ、って思って。 リ カ おどかさないでよ!     (謎の男、リカの耳元で) 謎の男 おどかしたかったなぁ。 謎の女 (謎の男の横に突然現れて)あたしも! 謎の男 うわっ!おどかすなよ! 謎の女 おどかすの、好きなんでしょ? 謎の男 おどかすのは好きだけど、おどかされるのは好きじゃないんだよ!     それより、こんなところに出てきて大丈夫なのか? 謎の女 大丈夫よ。あたしは、あなたにしか見えないんだから。(つぶやきながら)あれ?     どうして夏海って子は、あなたのことが見えるのかしら…? 夏 海 私の間違いは、そもそもこの高校を選んだ時から始まっていたの。あっ、誤解し     ないでね。この高校に決めたことが間違いだったわけじゃなくて、決めるときの     「決め方」が間違いだったの。 ユ リ よく意味がわかんない。 夏 海 みんなは、どうしてこの高校を選んだの? マ ミ どうしてって…一番は学力かなぁ。私が入れる中で一番評価が上、っていうのが     正しいんだけど。 ユ リ 私は制服もあるなぁ。うちの制服かわいいし、スカートは自由だからさぁ。 恭 子 私なんて、3者面談で先生が名前をあげてくれた学校を、お母さんと一緒に全部     見学して、一番いいかなぁ、って思ったところに推薦で入っちゃったから…。 夏 海 みんな似たようなものね。私も「自由な校風」とか「進学率」とか「制服」とか     で決めたの。 リ カ 誰だってそんなところでしょう?それがどうしていけないのよ!ほかにどんな     素晴らしい「決め方」があるっていうの? 夏 海 じゃあ、逆に聞くけどリカは何のために高校生になったの? リ カ えっ?そっ、そんなこと一言で言えるわけないでしょ! 夏 海 そう、本当ならば一言じゃ言えないはずなの。それなのに私たちはいつのまにか     「一言も言えない」高校生になっている……。 ユ リ 一言も言えない? 夏 海 そう、何のために高校生になったのか、一言も言えない高校生に。 マ ミ ちょっと待ってよ。何それ?ひどくない? 夏 海 ごめんなさい、言い過ぎたかしら。でも、少なくとも私にはそう言えるの。あれ     もこれもやりたいことがいっぱいあったはずなのに、いつの間にか、何もかも受     け入れるだけの高校生になっていたような気がする…。 マ ミ そんなの夏 海だけなんじゃないの?アタシは別に、何もかも受け入れるだけの     高校生になんかなっていないよ。 リ カ なってるよ! マ ミ リカ…。 謎の男 (夏海の耳元で)なんだか面白くなってきたね。 謎の女 (謎の男の耳元で)うんうん、面白くなってきた! 夏 海 (小声で謎の男に)ちょっと、やめなさいよ! 謎の男 (小声で謎の女に)ちょっと、やめなさいよ! 謎の女 (隣に耳打ちしようとして、だれもいないので正面を向いて舌を出す) リ カ あなたたち、本当にそう思っているなら相当おめでたいわね。 マ ミ ちょっと、どういう意味よ! ユ リ そうよ、アタシたちのどこが「何もかも受け入れるだけの高校生」なのよ! リ カ じゃあ聞くけど、今の校則に一00%満足しているの? マ ミ 都立のなかで一番自由な校則の、どこに不満があるって言うのよ! ユ リ そうよ、うちの高校はルーズもミニも、茶髪もピアスも、ケータイもOKなのよ!     しかも、全校生徒が正式に認められている高校なんて、そうそうないわよ!何が     いけないのよ! リ カ 「認められている」わけじゃないでしょ?「強制されている」のよ。 ユ リ いいじゃない、「自由」を強制されているんだもの。 リ カ よくないよ。そのことで、この頃ずっとイライラしていたんだから。 マ ミ イライラ?どうして自由のことでイライラするのよ。 リ カ だから、「強制されている自由」を「本当の自由」だと思い込んでいるあんたた     ちにも腹が立つし、一人で真っ先に疑問を持ち始めた夏海は、もっとムカツクん     だよ! 謎の男 (リカの横で)ずいぶんハッキリ言ってくれるねぇ。 謎の女 (うんうん、とうなずく) 恭 子 ちょっと待ちなさいよ!黙って聞いていれば、好きなことばっかり言って!     夏海のどこがいけないのよ!いつも友達のことを考えて、今だってみんなに迷惑     かけたって、謝っているじゃない!こんな夏海のどこがいけないっていうの? 謎の男 (恭子の横で拍手) 謎の女 (謎の男の横で拍手) リ カ そういう素直なところがムカツクんだよ。 恭 子 なによ、それ!自分が素直じゃないからって、夏海にヤキモチ焼いてるだけじゃ     ない!素直になりたきゃ、なればいいじゃない! リ カ そういう恭子はどうなのよ。いつも夏海の肩を持つけど、夏海はあなたに何でも     打ち明けてるわけじゃなかったじゃない。それでも、あなたたちは親友だと言え     るの? 恭 子 リカ、あなた何か勘違いしてるんじゃない?あなたの言う親友っていうのは、     いつでも何でも打ち明け合って、相談し合っていなくちゃいけないみたい。私は     そんなの違うと思うな。 リ カ 何が違うのよ! 謎の男 全然違うんだよ! 謎の女 全然ちがーう! 恭 子 私と夏海とは違う人間なの。だから悩みも感じ方も考え方も違うのは当たり前。     自分の考えに自信がないときは、相談もするわ。参考までに、夏海だったらどう     するか、聞くこともあるかもしれない。でもね、悩んで悩んで、自分で解決でき     るなら、私は相談しない。夏海もきっと同じだと思う。 謎の男 (夏海に向かって)いい友達見つけたねぇ。 謎の女 (うっとり夏海を見つめている謎の男の顔をのぞき込む) 謎の男 (見られて、我に返る。「何見ているんだよ!」と逃げる) ユ リ そんなの寂しくないの? マ ミ なんか冷たい感じがする。 恭 子 私たちは、お互いに自由なの。相手を尊重するし、自分も大事にしてほしい…。     そういうつきあい方ができるから、夏海は私にとって親友なの。 リ カ そんなの嘘よ!無理しているに決まっている。わたしはそんなの認めない! 恭 子 別に、リカに認めてもらわなくていい。 夏 海 恭子…。今度ばかりは、じっくり話を聞いてもらいたいんだ。 恭 子 そうこなくっちゃ。私も心配で、よっぽど聞いてみようかな、って考えていたの。 夏 海 みんなにも聞いてもらいたいんだけど…いいでしょう? マ ミ えっ、アタシたちも? ユ リ アタシも?(顔を見合わせ、リカをうかがう) リ カ 何でアタシたちまで話を聞かなくちゃいけないのよ! 夏 海 だって、私たちの学校のことだし、それに…。 リ カ それに、何よ! 夏 海 普通では考えられないことが起こっているので、みんなの意見が聞いてみたいの。 謎の男 おっ、ついに発表するのか。みんな信じてくれるかなぁ。 ユ リ 普通では考えられないこと? マ ミ なによそれ、お化けでも見たっていうの?(二人でバカにして笑う) 夏 海 似たようなものかもしれない…。 恭 子 似たようなものって、お、お化けってこと? 謎の男 おいおい、ボクは化け物かい? リ カ 面白そうじゃない、聞いてあげるわよ! 夏 海 実は、2年生になる前の夜のことなの。 恭 子 この間言っていた、スクールソックスをはくきっかけね? 夏 海 うん、そうなの。その夜突然私の部屋に…。     (その時、岸先生と母親が通りかかる) 岸先生 あら、どうしたの?こんなところで。 リ カ いえ、別に。ちょっと話をしていただけです。 恭 子 あっ、夏海のお母さん…こんにちは。 母 親 こんにちは。 夏 海 おかあさん、どうしたの? 岸先生 この頃あなたが元気ないので、心配してご相談にいらしたのよ。 母 親 ごめんなさいね、学校に来ることを黙ってて。 夏 海 ううん、私のほうこそ心配かけちゃって…。今ね、みんなに詳しいことを聞いて     もらおうと思っていたところなの。お母さんも一緒に聞いてくれる? 母 親 えっ、お母さんもいていいの? 夏 海 うん。(先生に)岸先生、先生も聞いてもらえませんか? 岸先生 ちょうどよかったわ。この間もお母さんとお話ししたんだけど、やっぱり最後は     本人の気持ちを聞かなくちゃわからないですよね、っていうことになったの。     それで、このあとあなたも呼んでゆっくり話を聞こうかと思っていたところなの。     (母親に)私たちも仲間に入れてもらいましょう。(二人して座る) 夏 海 2年生の始業式の前の夜に、ついこの間高校に入学したと思ったらもう2年生か、     とか、もうすぐ17才かぁ、なんて考えていたら思わずため息が出ちゃったの。 夏 海 そうしたらね、突然現れたのよ。「いいじゃないか」って。 マ ミ それって、もしかしたらお化け?! リ カ 途中で口をはさまないの!(夏海に)それが例の? 夏 海 そう、「もう一人のワタシ」だったの。 恭 子 ねぇ、その人って夏海とおんなじ顔しているの? 夏 海 それがねぇ、背の高い男の子なの。 恭 子 男の子?どうして? 夏 海 その人が言うには「もう一人のキミは男になりたかったのかもね」だって。 恭 子 ふぅーん。 リ カ それで? 夏 海 「今のまま、目の前に敷かれたレールの上をおんなじペースで走り続けるのか」     って言うの。 恭 子 それって、この前夏海が言っていたことね? 夏 海 そうなの。なにかというと私の前に現れて、そんなことを言っていくから、私も     いつのまにかいろいろ考えるようになっちゃって…。スクールソックスをはいて     いったのも、彼にいろいろ言われて考え事をしながら家を出たから、ボーッとし     て、ついうっかりだったの。 岸先生 あら、じゃあわざと先生たちに反抗しようとしたわけじゃないの? 夏 海 もちろんです。そんなこと考えません。 リ カ じゃあなぁに、よく考えて決心した結果じゃないの? 夏 海 あのときの私には、そんな思い切ったことできないよ。 恭 子 なーんだ、おかしいと思った。でも……じゃあ、そのあともスクールソックスを     はき続けたのはどうして? 夏 海 うーん、私にもよくわからない。ただ、偶然「不自由なソックス」をはいて     しまってから、何かが私のまわりで動き始めたって言うのかな?迷うたびに、     もう一人のワタシが背中をポンと押してくれるというか…。 リ カ どんなふうに背中をポンと押してくれたの? 夏 海 「不自由なソックスを押しつけられてそれを自由だと思い込んでいたんだ」とか。 ユ リ 不自由なソックスってまさかルーズソックスのこと? 夏 海 ねぇ、「ルーズ」の意味知っている? マ ミ えっ、「ゆるい」とか「だらしない」とかじゃないの? 恭 子 そうでしょ?だからルーズソックスっていう名前になったんでしょ?     (みんなうなずく。夏海はニコニコしている) 夏 海 みんなそう思うでしょ?私もそう思ってた。 リ カ 何でそんなわかりきったこと聞くの? 夏 海 英和辞典で調べてごらん、って言いたいところだけど、正解を言っちゃうね。     「l・o・o・s・e ゆるい、だらしない、解き放たれた…」 マ ミ ほーら、やっぱりそうだ!こう見えてもアタシけっこう英語得意なんだ。 夏 海 最後までよく聞いて。今の単語の発音は「ルース」なのよ。 マ ミ ウソーッ!! 夏 海 これが本当なの。日本語でも「あの人は時間にルーズだ」とか言うけど、それも     みんな本当の意味から言えば「ルース」だったの。 ユ リ じゃあ、「ルーズ」はどういう意味なの? 岸先生 「ルーズ・ロスト・ロスト 失う なくす」よ。 夏 海 「だから女の子たちはみんなして 失って、なくして、無駄にして、負けて、損      をしているんだ」って。 マ ミ そんなぁ…。なんだか情けないじゃない。 リ カ じゃあ、アタシたちは校則でそんな情けないソックスにしばられているわけ? 岸先生 聞いていると、まるで学校や先生がみんなをしばっているみたいじゃない。 リ カ 結果的にはそうなるんじゃないですか? 岸先生 冗談じゃないわ!!今の校則が出来上がってから入学してきたあなたたちには、     わからないのも無理はないけど、ここに来るまでの先輩たちや先生たちの思いや     苦労を忘れてほしくない!私だって、生徒たちの喜ぶ顔や生き生きとした顔が見     たくて、先輩たちと一緒になってひとつずつ校則を改正してきたのよ。それが、     2000年頃の事件をきっかけに「子供たちの自由を大切にしよう」なんていう     風潮が広がってきて、校則改正がいっきに進んだの。 母 親 そうよ。お母さんが高校生だった頃は、「髪は肩まで伸びたら三つ編み」とか、     「スカート丈はひざが隠れること」なんていう校則は珍しくなかったんだから。 恭 子 そうだったんですか…。 岸先生 だけど不思議なことにね、生徒たちはみんな人と同じじゃないと心配らしくて、     まわりのことをすごく気にするの。たまに変わったことをする人がいると、イジ     メたりバカにしたり…。だから、「高校生の理想を校則にすればいい」というこ     とになって、だんだんと今の校則ができあがったのよ。 謎の男 どんな歴史があったのか知らないけど、高校生が自分の頭で考えなくなったこと     に変わりはないじゃないか。 夏 海 そんな言い方しなくても…。 謎の男 中学3年で受験受験って騒ぎすぎるから、やっと高校に入学するとなんだか気が     抜けちゃうんだよ。上の学校に進むヤツは単なる通過点みたいに考えたり、就職     するヤツは最後の楽園みたいに遊びまくったり。そうかと思うと、学校に行かず     にバイトばっかりしていたり…。高校生活3年間を何だと思っているんだよ! 夏 海 そのことと校則とどう関係があるの? 謎の男 おおありだよ!何のために高校に行くのか、何をしたいのか、自分はどう感じて     いるのか、自分はどう考えているのか、忘れている証拠だよ。校則は学校生活を     支える大切なルールだろ?考えるどころかろくに知らないヤツだっているんだか     ら、嫌になっちゃうよ。知らない、守らない、考えない校則に支えられた高校生     活って、何なんだよ! 夏 海 ねぇ、どうしてそんなに熱くなってるの?変だよ! 謎の男 自分の人生を大切にしていないヤツが多すぎて、イライラするんだよ! リ カ ねえ夏海、まさか今、例の人としゃべっているんじゃないでしょうね? ユ リ えっ、例の人って、ゆ、幽霊の? 夏 海 幽霊じゃないんだけどね。 母 親 私も彼の考えに賛成だわ。 (一同 驚く) 夏 海 お、お母さん聞こえるの? 母 親 いまどき、あんなにしっかりした考えをもっている男の子なんて、珍しいわね。 岸先生 お、お母さんには何か見えるんですか? 母 親 先生までからかわないでください。彼がどうかしたんですか?(謎の男に向かっ     て)ねぇ、どうしてみんなして、あなたのことをのけ者にするの? 謎の男 あ、あなたはボクのことが見えるんですか? 謎の女 あ、あの人にはキミのことが見えるんですか? 母 親 当たり前じゃない!目の前にいるんだから見えるわよ。 夏 海 お母さん、もう一人のワタシの姿が見えるのね? 母 親 もう一人のワタシって…ま、まさか夏海にしか見えないお化けって…彼なの? 謎の男 だから、ボクはお化けじゃないんだけどなぁ。 謎の女 もちろんあたしも違いまーす! 母 親 じゃあ、いっ、いったい何なの? ユ リ とっ、透明人間と会話する人が、また増えたーっ! マ ミ 恐るべき超能力親子、現れる!! リ カ 何またバカなことを言っているのよ!ねぇ、夏海、どうして二人にだけ見える     のか「もう一人のワタシ君」に聞いてみなさいよ! 夏 海 う、うん…。ねえ、どうしてなの? 謎の男 (言いにくそうにしている)うーん、それはねぇ…。 謎の女 あっ、あたしも聞きたーい! リ カ (だれもいないところに向かって)ねぇ、教えてよ!どうしてなの? 母 親 夏海、カレは「もう一人の夏海」って言ったわよね? 夏 海 うん、そう言ってた。「どうして男なの?」って聞いたら、「もう一人のキミは     男になりたかったのかもね。」だって。 母 親 (謎の男に向かって)あなた、ま、まさか…。 謎の男 (深いため息を一つついて)そう、そのまさかですよ、お母さん!     (母親、夏海は、大きく動揺する)  (まわりでは、「何があったの?」「どうしたの?」とうろたえている) 謎の女 そういうことだったのか。 夏 海 「お母さん」ってどういうことなのっ!!     (説明しようとした母親をさえぎって) 謎の男 キミが生まれるとき、ボクとキミは一緒にお母さんのお腹の中にいたんだ。     十ヵ月もの間、ボクたちはずーっと一緒だったんだよ。 夏 海 (母親に向かって)ワタシたちは双子だったの…?     (母親は静かにうなずく) 謎の男 ボクたちには、明るい未来が待っているはずだったんだ、生まれる直前までは…。 夏 海 生まれる直前まで? 謎の男 そう、生まれる直前まで。それは、まさにこの世に飛び出そうとする直前に起こ     った。一時は二人ともダメか、とも言われたんだけど、キミだけが奇跡的に助かっ     たってわけさ!あとはキミの知っている通り、女の子はスクスクと順調に成長し、     男の子は生まれていないんだから死んでもいなくて、魂だか霊だか知らないけど     時には化け物なのかなぁ、なんてうっすらと思いながら今に至ったってわけさ。 母 親 夏海、よく聞いて!これはあとでお父さんから聞いた話なんだけど、     このままでは二人とも命が危ない!という時にお医者さんがお父さんを呼んで、     「どちらか一人なら助けることができます!」     とおっしゃたそうなの。でも、お父さんにはどちらかに決めるなんてできるはず     もなく、答えられないままどんどん時間がなくなっていった。もうこのままでは     二人ともダメだ!というまさにその瞬間、男の子のほうの心臓が、まるで     「ボクはいいんだ、キミが生きなよ!」     とでも言っているかのように静かに止まったそうなの。一人になったあなたの心     臓は驚異的に回復して、無事に生まれたというわけなの。 夏 海 私は…私は…あなたのおかげで今、ここに、こうして生きているのね? 謎の男 別に、そんなカッコイイ話じゃないんだ。ただ単に、ボクのほうが体が弱かった     だけだよ。まあ、こんな風に美しい話になっているのも、悪くないけどね。 母 親 違うわ!!お医者さんも、近くで見守っていたお父さんも、それまでは男の子の ほうが、心臓の鼓動がずっとしっかりしていた、って言っていたもの。 夏 海 それなのに…それなのに私は、せっかく、せっかく高校生にまでなれたというの     に、毎日毎日ろくに考えもせずに流されて生きてきたなんて…恥ずかしい。本当     に恥ずかしい。 謎の男 やっと気づいてくれたんだね。 夏 海 (少し考えて)ねぇ、私たち入れ代わることできないの?今からでも遅くないわ、     あなたが、あなたの人生をしっかりと送ってくれたほうが、どれだけ意味のある     人生になるか…。ねぇ、できるならそうして、お願い! 謎の男 なーんだ、やっぱりまだわかっていなかったのか。ボクはね、そんなことを望ん     で、今さらのこのこ姿を現したわけじゃないんだよ。(歩きながら)     自分で生きたかったのなら、17年前のあの時にそうしていたさ。 夏 海 そうよね、今さらそんな調子のいいことを言っても無理よね。── わかった。     私が、あなたの人生をあなたの代わりに、精一杯生きるわ! 謎の男 だから、わかっていないって言うんだよ!!ボクの代わりにボクの人生を生きる     だって?冗談じゃない!人生には誰かの代わりなんていうものはないんだよっ!     わかる?自分には、自分の人生しかないんだ!この世の中に生まれて、この世の     中で生きていくっていうことはそういうことだと思うんだ!自分の人生を、自分     だけの人生を、自分らしく、しっかりと生きていくんだ。 夏 海 自分の人生を、自分だけの人生を…。 謎の男 (静かな口調に戻って)     だから、「失ったり、なくしたり、無駄にしたり」しちゃいけないんだよ。     ルーズ、ロスト、ロスト…。(にっこり笑う) 母 親 マサキ! 謎の男 えっ?! 母 親 マサキ…あなたに考えていた名前よ。 謎の男 マ・サ・キ…ボクの名前…。マサキ…マサキ…マサキ!ボクの名前! 夏 海 マサキ! 謎の男 (恥ずかしそうに)ナ・ツ・ミ…夏海! 謎の女 マ・サ・キ! 母 親 マサキ! リ カ (どこにいるかわからないが)マサキ! 謎の男 えっ! ユ リ・マ ミ マサキ! 恭 子 マサキ! 謎の男 (嬉しそうに)どこ向いて言ってるんだよ! 岸先生 マサキさん! 謎の男 (相変わらず嬉しそうに)アーア、先生まで、全くもう。 謎の女 よかったね。ほかのみんなにも、きっとあなたのことが見えているのよ。 謎の男 ちょっと見ているところが違うけどね。(謎の男と女、二人で笑う)     (夏海のほうに向き直って)さあ、ボクはもう行くよ。 夏 海 えっ、どうして行っちゃうの?このまま一緒にいようよ! 謎の男 そうはいかないよ。もともとボクはこの世に生まれていないんだから。 母 親 でも、もう少し夏海のそばにいてあげて。それから…わたしのそばにもいてちょ うだい。こんなに立派になったマサキの姿を見ることができるなんて、夢にも思     わなかったんだもの。 謎の男 そうもいかないんだ。それに、今の夏海にはもうボクは必要ないからね。お母さ     ん、夏海、また来るからね! 母 親 本当に? 謎の男 うん! 夏 海 きっと来てよ? 謎の男 ああ、夏海がちゃんと自分の人生をしっかり歩いているか、見守っていかなく     ちゃいけないからね。油断してると、また耳元でささやいてあげるよ! 夏 海 きっとよ!必ず、また来てよ! 謎の男 まあ、ボクが来るときは、夏海にとってはあまりいい時とは言えないわけだけど、     時々は来てあげる。──  それじゃ!!     (謎の女も「あっ、置いてかないでよ!」とついていく。みんなで手を振る) (夏 海 あーあ、行っちゃった。母 親 また来てくれるわよ。 夏 海 うん。 )     (全員ストップモーション 音楽が流れだす ) (静かに全員がそれぞれの位置につき、前を向く。謎の女の姿もある) リ カ 夏海ばっかりマサキと素敵な思い出を作って、ズルーイ! マ ミ 夏海とお母さんだけマサキの姿が見えて、ズルーイ! ユ リ 二人だけで事情がわかって納得しているなんて、ズルーイ! 岸先生 先生たちの気持ちもろくに知らないで、生徒なんて、ズルーイ! 恭 子 生徒たちの気持ちもろくに知らないで、先生なんて、ズルーイ! 母 親 私たちの学生の頃はもっときゅうくつだったのに、今の学校なんて、ズルーイ! 謎の女 マサキばっかりちゃんと名前があって、ズルーイ! 夏 海 こんな秘密をずっと内緒にしていたなんて、ズルーイ! 謎の男 (姿を現して)みんなばっかり自分の人生があって、ズルーイ!     2人を残して、上手や下手にはける。夏海と謎の男はうなずき合う。     謎の男は背を向けて立ち去る。心配そうに見送る夏海。     謎の男は背を向けたまま手を振る。夏海は喜んで必死に手を振る。     夏海は正面を向き、にっこりとうなずく。     謎の男に背を向けしっかりとした足取りで立ち去る。     ─── 幕───